新町太鼓台  
新町太鼓台
1.太鼓台詳細
 
新調




明治末期~大正初期頃

平成19年12月16日 四本柱、土呂台、木鼻 大修理 入魂式

平成25年 土呂台

令和4年 太鼓台修理


令和5年 布団締め、金綱新調 
大工棟梁 不詳 
彫師  開 正藤
材質 欅(一部 紫檀) 
屋根廻り  3段
上部2段紫檀
下部1段欅材で一部紫檀で唐草が彫り刻んである
 
枡合  楠正成の勇姿
4面とも詳しくは不詳
 
虹梁  4面ともに花鳥風月で統一 
木鼻 牡丹に唐獅子 
匂欄  中国列仙伝か、二十四孝唐子彫物で詳しくは不詳
 縁葛 大坂夏の陣
開 正藤 ・・・ 「中興の名人」と評され、「正藤ノミを選ばず」と言われた名匠である。
          一度ノミを握ると、「天馬空を跳ぶが如し」の早さで刻んだと言い伝えられる。
          枡合の彫物の隅に「正藤」と書かれて、印章も残っている。
 
 
 2.新町の逸話

 当時、太鼓台を新調する時に有志一同が集まって話し合いをして、「俺は布団張りを買う。」と言うと、「お前が布団張りを買うなら、俺は四本柱を買う。」というように、有志一人、一人がお金を出し合って新調したという話があります。

 昭和初期頃(昭和10年前後ぐらい)。正確には不詳。7月24日の春日神社夏祭り(佐野夏祭り)本宮の日(この年の神輿番は野出町)、宮一番の野出町、宮二番の春日町の2町が宮入奉納を終え、宮三番の新町太鼓台が威勢よく宮入をしている。ところが時間が過ぎても鳥居に入る様子が無く、祭礼委員や町内役員らが後棒を押し始めたが、なかなか鳥居に入らず、今度は前に回って前棒に縄をつけて引っ張るが、これでも境内に入る様子が無く担いでいる。

 痺れを切らした神輿当番の野出町の若衆らが、拝殿前に神輿を運びこみ、神主が御魂入れの儀式を終え、神輿を担ぎ出そうとする。それを見て、新町町内役員や祭礼委員が急いで太鼓台を境内へ押し入れようとするが、まだ入らず、今度は、野出町の祭礼役員や若衆が神輿を出そうと新町太鼓台を前から押し始めた。

 拝殿前から神輿が担ぎ出され、境内を回り鳥居のほうへ向かっていく。鳥居前では、新町と野出町の役員が入り交じって太鼓台を押し出していく。最後には神輿が出てきたので、太鼓台を後ろへ下げていくが威勢がよすぎて、春日神社前にある門前まで押して行かれたと言う。これが、新町太鼓台のお寺参りと俗に言われている。この年は、新町は宮入りが出来なかったという話があります。

 この件が発端かどうかは分かりませんが、以来、新町と野出町の仲が悪くなり、2台の太鼓台が合うと、喧嘩が始まって、殴り合いがあちこちで始まる。また、屋根に登って瓦の投げ合いも始まったと言います。こういうことが、昭和30年代まで続いたそうです。 


 3.例祭画像
 
  令和5年9月10日
つばさ通り商店街 試験担ぎ
 


  令和5年9月10日
つばさ通り商店街 試験担ぎ
 
 
  令和5年9月10日
つばさ通り商店街 試験担ぎ
 
 
  令和5年9月10日
つばさ通り商店街 試験担ぎ
 


 
  令和5年7月16日(宵宮)
つばさ通り商店街
パレード開始前 
 


 
  令和5年7月16日(宵宮)
つばさ通り商店街
パレード開始前 
 


  
  令和5年9月16日(宵宮)
内原前 パレード挨拶


  
   令和5年9月16日(宵宮)
内原前 パレード挨拶
 

 
   令和5年9月16日(宵宮)
内原前 パレード挨拶


  
  令和5年7月16日(宵宮)
駅前通り商店街 パレード 


  
  令和5年7月16日(宵宮)
駅前通り商店街 パレード 


 
   令和5年9月17日(本宮)
春日神社宮入り  


 
   令和5年9月17日(本宮)
春日神社宮入り  


 
   令和5年9月17日(本宮)
春日神社宮入り  
 


 
    令和4年9月17日(宵宮)
かきあい


 
  令和元年7月14日(宵宮)
土丸栄線 かきあい


  
  令和元年7月15日(本宮)
駅前通り商店街


 
  平成30年7月16日(本宮)
内原前


  
   平成30年7月16日(本宮)
内原前